2023年12月 5日 (火)

世界中で少なくとも一人

 今年もアドベンドカレンダーに参加させていただきます。

 さて、今年の広島・ゲーム・サービス最大の出来事は、パック1号さんの復帰です。数年間、事情があって広島・ゲーム・サービスにも顔がだせなかったそうですが、今年の春に復帰されました。

 来年の2月には、北九州組が来訪され、広島と呉の観光と、ゲームプレイが行われます。今までは広島からどこかへ遠征に行くことばかりでしたので、これからは訪問者もあればいいと思ってます。

 とはいえ、来年もK.G.B(北九州ゲームボーイズ)の7月にあるメガシヴィライゼーションの合宿とかに出かけるなど、遠征に行く方が多いでしょうが。

 遠征と言えば、今年はGIFのシミュレーションゲーム合宿はありませんでした。来年どうなるかは不明ですが、無かったのは残念でした。

 K.G.G(倉敷ゲームギーク)の方も、コロナ禍以降開催されてません。西日本組が参加するには丁度いい場所での開催だったので、これもちょっと残念な話です。

 代わりにといってはなんですが、今年は大阪での、歴史ボードゲームギーク松原に2回参加させていだだきました。二度とも私がCMJに投稿している、Soviet Union's Finest Hour~東部戦線キャンペーン~のプレイをして頂き、感想をもらえたのでありがたく思ってます。

 その、ボードゲームギーク松原でのオフレコ話を聞いて思ったことを書いてみます。

 でも、ボードゲームギーク松原第3回での、オフレコじゃないはずの話から入ります。

 ゲームデザイナーのある意味双璧、タイ・ボンバとジョゼフ・ミランダの作品の評価について、忘年会の二次会で、鹿内さんが「ボンバの作品は、うまくつくれてないけど、ここを面白がってほしいという狙いはわかる。ミランダの作品はヒストリカルすごろくで楽しませる気はない」という意味のことを話してました。

 とはいえ、ボンバもミランダも、自分の作った作品が世に出る値打ちのない駄作だと思っているなら、世に送り出さないでしょう。好き好んで自分の評価を落とす必要はないのです。世界中で少なくとも一人、作って世に出した当人だけは、それが世に出る値打ちがあると考えたから世に出しているのです。

 私は二次創作もやってて、自分のサイトにもpixivへの投稿もやってます。とはいえ、誰が見てるんだこれ、と書いてる当人が思わなくもないのですが、アクセス解析の結果によれば、30人から50人ぐらいの読者が読んでくださってるみたいです。ありがたい話です。コメントなどの反応はまるきりないのですが、自分もまず感想などは書かない人なので、仕方の無い話でしょう。それでも読者がいるのは励みになります。その人達にとっては、Not For Meではなかったのですから。

 なにが言いたいか。どんなものでも、世界中で少なくとも一人、作った当人だけは、それを世に問う以上は、作品を愛していてほしいのです。

 世に問うとは、なにも全世界に公開するという意味ではなく、自分のノートに書き留めてそのままにせず、知り合いや友人に見せた瞬間に、もうそれは世に問うているのです。評価を求めているわけです。そのときに、作者はそれが世に問う価値があると信じているはずなのです。

 世に出すハードルを上げようと思ってこんなことを書いてる訳ではありません。第一私が世に出してるものは、後世に燦然と時代の象徴として残るような立派なものではないことは間違いありません。しかしながら、少なくとも私だけは人に見せる価値があると思ってやってるのです。それを見せられた側の評価がどんなものであろうとも、見せられた側の評価は、世に問うとした私の決断の後にしかやってこないのです。

 そして、世界中でただ一人、作った当人だけが、世に問う決断が出来るのです。

 作品を世に問う決断をしたからには、世界中で少なくとも一人、世に問うた当人は、作品を愛していてほしい。そうでなければ生まれた作品があまりに不憫ではありませんか。

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